<考えかたの違いを超えて。同じステージに立つには・・・>

考え方の違いの露呈は、いつでも、どこでも起こりうる事です。
あきらかな違いでなければ、相手に譲歩する事もあり、我意を通す事もあります。それが日常では当たり前の状態かもしれません。しかしながら、それが、どちらかの我慢出来る許容範囲を超えた時、不満になり、論争になり、小競り合いになり、やがて紛争へと発展していきます。この状態は、どちらにとっても、ゆゆしいことであり、許容範囲の内に修正しなければなりません。
例えば、日米の文化や教育の違いを考えれば、私と皆様の考え方に相違があるのは明らかであり、至極当然な事でもあります。でも、これが当然であり、当てり前だから仕方がない、とやり過ごしても、この違いは、永遠に埋まる事はありません。
それでは、その違いを埋める方法はあるのでしょうか?
私達は地球市民と言う連帯でつながっています。言葉は違っていても、唯一、心でつながっています。心地よいと心に感じる事は、みんな心地よいのです。
では、心地よい心の在り方とは、何でしょうか?
人間は自分の執着(主義主張)を離したとき、心に余裕が生まれます。心の余裕は、人を受け入れる寛容な心につながっています。私は、あなたの為に、自分の心の「2分の1」を差し出します。そのあと、あなたは私に、あなたの「2分の1」の寛容な心を差し出してくだされば、合わせて「1」となります。

「1」は物事の始まりを表します。このように、お互いの心を捧げあえば、お互いの考え方や主張を超えた、新たなステージ「1」が用意されています。そこには差別や偏見はありません!
積極的に、同じ考え方に立って問題を解決しようとする心が集います。そして一つだけ、この心は誰が先に差し出すかではなく、私が先に差し上げるのです。その姿勢こそが、文化、教育、民族、国家、信仰、環境と言う違いを乗り越え、心でつながる唯一の方程式だと思います。


サダコから伝えたいことば

違いを乗り越えるために・・・      <サイト内の言葉や思想は独自であり宗教には一切関係ありません>