(東京本部)
〒164−0011
東京都中野区中央4−58−7−402
副理事長 佐々木祐滋
祐滋Mob090−3078−8477
(福岡支部)
Tel0 092−952−6146(代表)
雅弘Mob090−1191−9922
広島市楠木町173番地にて生まれる。
広島市楠木町被爆する。爆心地より1.6キロ地点で原爆の子の像のモデルとなった佐々木禎子と母、祖母と共に4人が被爆。父は翌日入市して被爆。
佐々木禎子広島日赤病院で原爆の影響による白血病のため死亡。
全国の募金により「原爆の子の像」除幕される。禎子の妹(美津江)弟(英二)が除幕する。雅弘と禎子のクラスメイトは、この「原爆の子の像」募金や建設準備にたずさわる。
福岡市にて美容院を開店する。
広島平和記念資料館が主催した「サダコと折り鶴」展にて、第一回「禎子物語」を朗読講演する。
広島にて広島の子どもたちと共に第一回「大切な夏」と言う平和について考えるイベントを開催する。以後副代表祐滋と共に毎年開催。
アメリカシ・アトル及びその近郊にて、禎子物語を語りながら、禎子が残した「想いやり」の心を伝える活動をする。
オーストリア・ウイーン、ザルツブルク、チロル地方等の学校で「禎子物語」を朗読で伝える。
テレビ朝日、鳥越俊太郎「ザ・スクープ」に出演して対談する。
アメリカ・ニューヨークにて9.11同時多発テロ被害者の会に招かれ「想いやり」の心を伝え、平和を発信する礎として禎子の遺品「折り鶴」を寄贈。
「広島市民賞」を受賞する。この賞は広島の為に日本国内や世界に対して大いに活躍した者に与えられる賞である。(当時、秋葉広島市長より市長応接室にて、はだしのゲン作者、カープ前田選手と共に受賞)
オーストリア・ウイーン他、各所で講演し、ブルゲンラント州「ヨーロッパ平和博物館」に禎子の遺品「折り鶴」を寄贈し、恒久平和へのメッセージを発信している。
アメリカ・ニューヨーク、ニュージャージー州他にて、禎子物語と「想いやり」の心を伝え、同時に神風特別攻撃隊に戦艦を撃沈され生き残られたミッチェル氏、及び原爆投下命令を下したトルーマン元大統領のお孫さん、クリフトン・トルーマン・ダニエル氏にお会いして、本当の意味での日米の教育の違いなどを踏まえ、心の終戦と次世代に伝えるに事について話し合う。
広島、長崎に原爆投下命令を下した第33代トルーマン・アメリカ大統領の孫にあたる、クリフトン・トルーマン・ダニエル氏をお招きし、広島、長崎両市長を表敬訪問し、両市の慰霊式典に出席いただき、両市で40名以上の被爆者の証言を真摯に聴聞していただいた。
ニュース「ZERO」にて、櫻井翔君によりトルーマン氏と共にNPO法人理事長としてインタビューを受け招請の意義などを話した。
NPO法人副理事長(佐々木祐滋)に託してハワイ、パールハーバー「アリゾナ記念館」に禎子折り鶴を寄贈する。
ロスアンジェルス「サダコ・ピース・イベント」にてJACCC主催のイベントで講演する。
沖縄市平和記念式典20周年開催に合わせ禎子の折り鶴を寄贈し講演する。
ハワイパールハーバー「アリゾナ記念館」にてサダコの遺品の折り鶴が正式展示開始されるセレモニー式典に出席し、戦艦アリゾナの生き証人であるローレンブルナー氏と和睦を図り平和について講演する。
イラン国際映画祭に招請され、禎子の折り鶴寄贈、NPO法人副理事長佐々木祐滋が持参して式典に参加し音楽と講演で平和を訴える。
禎子の母校である。広島市幟町小学校に遺品の折り鶴を寄贈する。
ロスアンジェルスJACCC主催、第2回「サダコ・ピース・イベント」に招かれ平和について講演する。
ブラジルサンパウロに、さだこの遺品「折り鶴」を寄贈し、祐滋が作詞作曲した「祈り」の歌や平和や心の在り方について公演する。
2015年(来年)の11月、ニューオーリンズで全米中等教育の社会科・歴史の教員らが5千人集まる教育学会において、キーノート・スピーカーとして招かれ講演。
テーマは「終戦70周年と心の終戦について」です。