講師紹介


  NPO法人SADAKO LEGACY


2009年3月
NPO法人SADAKO LEGACYが内閣府より正式認可をいただきました。
その後、禎子の遺品の折り鶴を、国内各所や海外で平和の発信が出来る所に寄贈して心の輪をつなげています。




佐々木祐滋 (SADAKO LEGACY副理事長)



SADAKO LEGACY 副理事長
佐々木祐滋(ささきゆうじ)
1970年6月6日生まれ。
福岡県博多区出身。
2000年ロックバンド「GOD BREATH」を結成。09年よりソロ活動をスタート。


2010/7 佐々木祐滋『INORI』発売

2010/10 広島平和記念公園でチャリティーコンサート開催
2011/1 東京・六本木でSADAKOLEGACY主催のライブイベント開催

2012/1 新体制による『NEGAIプロジェクト』始動

2012/11 福島県いわき市の東日本国際大学で、学生が中心となって実施されたシンポジウムのテーマソング「つながる空」を佐々木祐滋が作曲し、歌手は手話シンガーの水戸真奈美さんが歌いました。





広島ドーム前コンサート







ロスアンぜルス講演



ハワイの子供達が上演した子供達だけのミュージカル(SADSAKO)の子供達と共演リハーサル中



佐々木祐滋(禎子の甥)


 終戦からすでに68年経つ。が、これから何年先も、何百年先になっても戦争のむごさを忘れてはならない。1945年8月6日、原爆という悪魔が広島を襲った。当時2歳の佐々木禎子(以下サダコ)は命からがら火の海から逃れたものの、10年後に発症、白血病で12歳の短い生涯を閉じた。広島平和記念公園に折り鶴を支えるようにして建つ「原爆の子の像」はサダコがモデル。サダコの甥で中野区在住のシンガーソングライター・佐々木祐滋は、サダコを語り、歌を通じて「想いやりの心」「命の 尊 さ」を 訴 え るNPO法人『SADAKOLEGACY』を、父親の雅弘(サダコの実兄)と立ち上げた。



<被爆2世であること>
当事者にしか分からないであろう葛藤、被爆2世であると公表している祐滋は、26歳の時に音楽の道を目指し福岡から上京した。幼い頃から祖父母・父親に「禎子おばさん」について聞かされていたが、まるで雲の上の遠い存在。無論、音楽とサダコをシンクロさせようとは露程も考えていなかった。転機は30歳。東京でサダコについて講演する父に同伴した懇親会での出来事。自己紹介を終えるや「サダコさんの歌をつくって歌わなきゃ」と口々に意見され、それでもためらっていると、一人の被爆者に「あなたの身体の中にはサダコさんのDNAが入っているんだから」と言われ覚醒した。「ドーンと響いた。遠かったおばさんがグッと近くにきた瞬間」。その後「おばさんの気持ちになり」つくった楽曲『INORI』が2009年に完成した。2010年大晦日のNHK紅白歌合戦でクミコさんが熱唱したのは、その曲である。

『♪折り鶴を1羽折るたび つらさがこみ上げてきました、だけど1000羽に届けば暖かい家にまた戻れる、願いは必ず叶うと信じて折り続けました・・・』



<サダコおばさんの思い>
病床でサダコが折った鶴は1300羽以上とも1500羽以上とも言われる。薬の包み紙等を針の先を使って1cm四方の鶴に仕上げた。それらは葬儀の席などでサダコの友だちに形見分けしたり、広島平和記念資料館に100羽程寄贈するうちに、佐々木家には5羽だけ残った。小さな折り鶴を眺めていると、やさしいおばさんの面差しが浮かび上がってくる。闘病中の8カ月の間、サダコは一度も「痛い」「つらい」という言葉を発しなかったそうだ。自分は二の次でいつも周りの人を思いやる心はどんな状態でも変わらなかった。
うどんが大好物な兄(私の父)のために病院の食堂で、見まいに来たたびにご馳走してあげたり、ある時は、腫れた足を引きずって日赤前の薬局で父親のために頭痛薬を買って届けたり。「お金はおばさん(サダコ)が受け取った見舞金から出していたようです。自分の治療に使わなきゃいけないのに、当時は痛み止めが1回2100円、輸血は100ccで800円かかった。家の窮状を知っての行動だったんでしょうね」。知れば知るほどサダコの生き方に魂を揺さぶられる。「戦争反対とか核兵器排絶は当たり前の話。サダコのように人を想いやることが世界平和への早道ではないか」と気付く。さらに、残り5羽となった折り鶴を「世界5大陸に届けよう」と決意した。





<2010年、NYに寄贈されたサダコ鶴>サダコ鶴を届ける
2007年9月、9.11同時多発テロの被害者に招かれ、遺品の「サダコ鶴」を1羽寄贈したのを始めとして、09年にオーストリアの平和博物館、そして念願のハワイの真珠湾に手渡すことができた。実は、真珠湾への寄贈実現に骨を折ってくれた一人のアメリカ人がいる。クリフトン・トルーマン・ダニエル氏。かつて、原爆投下を命令したトルーマン大統領の孫である。父(雅弘)が、自ら連絡を取る手配をして知り合い、互いのこだわりを越えて平和への思いを一(いつ)にした。さらに私(祐滋)は、広島・長崎両方のB29に唯一搭乗したレーダー士の孫であるアリ・メイヤー・ビーザー氏と出会った。2013年にダニエル氏、アリ氏共に日本に招き、広島・長崎の平和式典に揃って参加、被爆者数十人の方々とと面談した。来日前、ダニエル氏は「罵声を浴びてもすべて受け入れる。僕の祖父がやったことだから・・・それでも広島に行きたい。この先の平和につながるのなら」と話していたという。 サダコ鶴はあと2羽となったが、寄贈したい場所はいくつもある。現在寄贈している折り鶴は、広島平和記念資料館に保管されているものを、広島平和記念資料館のご厚意により返還していただき必要なところに必要な時に永久貸し出しと言う形を取って寄贈しています。私(祐滋)が願う場所は、長崎・福島・沖縄・中野等々・・。「広島と長崎って、実はつながっていない。一緒に声を出せば、もっと大きなメッセージが伝えられるのに」と思う。

また、「広島・長崎の人と同じように放射能に苦しめられている福島」「戦争の傷跡を色濃く残す沖縄」みんな戦争の犠牲なのです。




<子どもたちのために>
「SADAKO LEGACY」の最大のテーマは、「子どもたちが笑って安心して暮らせる未来」。


他者への想像力と想いやりの心をみんなが持てたら、どんな軋轢や争いも乗り越えていけるはずと、「OMOIYARI講演活動」を実施している。周囲を気遣い続けたサダコのエピソードや、想いを込めた歌を届けに全国の小中学校各種団体、地方の人権擁護活動等を中心に廻り、講演は今や延べ500箇所にも。中には少年鑑別所での講演もあった。一人の少女の話だが、鑑別所は保護観察か少年院かを見定める機関だというのに、その少女に限っては入所時からすでに少年院行きが決まっていた。「どうしてって聞いたら、親が引き取り拒否をしたって言うんです。19歳だから養護施設にも入れない。少年院という選択肢しかないと言う、本当にショックだった。子どもたちの周りには矛盾と大人のエゴ が 満 ち て いる。「この子たちに責任は負わせられない。親・先生・周りの環境のすべてを見直す機会になった!」。今はひたすら、「子どもたちに何かしてあげなきゃ」「未来の子どもたちへ想いやりの橋を渡したい」と誓い、前を向いてブレることはない。




 感想があればメールください






    佐々木雅弘(折り鶴の少女禎子の兄)







  SADAKO LEGACY 理事長            ロスアンゼルスの講演にて






「SADAKO LEGACY」の最大のテーマは、「子どもたちが笑って安心して暮らせる未来」。


他者への想像力と想いやりの心をみんなが持てたら、どんな軋轢や争いも乗り越えていけるはずだと思います。


大切な事はみんながそう思っている心がつながって行く事です。一人ではだめなんです、出来るだけ多くの人達と国都が同じ思いでつながる事が必要です!


人間は、生まれも環境も育ちも違います、初めから違っているのですが、案外自分と同じ考えなのだと思い込んでしまっています。

違っているのに気付かないのか、見過ごしているのかは分かりませんが、その事に気付かねば、自分以外の人と考え方の違いは1ミリも近づく事はありません。
しかも、自分から近づく心掛けがないと、決してうまく行く事はないのです。



※ 2015年11月全米社会科学会(NCSS)がアメリカのニューオーリンズで開催されました。その学会の重要演説者として招かれました。私がそこで課題として講演した内容は、国や教育の違いを超えて同じステージに立つ条件は、まづ、今相手がどのように考えているのか、どんな不安や不満を抱えているのかを知り、日米の教育の違いを超えて、未来を担う日米の子供達に、私達が共通して伝えられる課題を認識する機会を共有することが、違いを乗り越えられる最も緊急かつ重要であるとの思いを語らせていただきました。


その結果、当学会で毎年が選誰かが選ばれ受賞する、「SPIRIT OF AMERICA」賞をを頂いたのです。この賞は、アメリカ人以外で受賞するのは私が初めての事だと言う、大変名誉な受賞を致しました。


又同時にクリフトン・トルーマン・ダニエル氏も同時受賞されました。






クリスタルのトロフィー        


真ん中に<MasahiroSasaki>と刻んであります


 



Spirit of America AWARD




右一番下に、Masahiro Sasaki & Clifton truman Daniel





パールハーバー寄贈式典



戦艦アリゾナ生き残り兵(ローレンブルナー氏当時90歳)

パールハーバー禎子折り鶴寄贈セレモニー