1945年8月6日に広島に投下された原子爆弾によって被爆し、その10年後に白血病を患い、わずか12年という短い生涯を終えた一人の少女がモデルとなって、広島の平和公園に「原爆の子の像」が建てられています。その少女の名は佐々木禎子(サダコ)といい、私の妹です。
禎子は、闘病中に「鶴を千羽折れば願いが叶う」という日本に古くから伝わる言い伝えを聞き、命が尽きるその日まで、来る日も来る日も折り鶴を折り続けました。自分の病が白血病という不治の病だと知りながらも、それに気付かぬ振りをし、胸の内にある苦しみを一切表に出さず、天国へ旅立った禎子が命をかけて教えてくれたもの、それが「想いやり」の心なのです。
そして、自分の事を差し置いて常に相手を気遣うことが出来た禎子だったからこそ、亡くなった後にクラスメイトが禎子を想いやって、「禎子のお墓をたててあげよう」と募金活動を始め、その活動が人の心を打ち全国の学校に広まって形になったもの、それが今でも世界中から平和への祈りを込めて折られた千羽鶴が届く、広島の「原爆の子の像」です。
この像が1958年5月5日に建立されたことをきっかけに、サダコが「折り鶴の少女」として、サダコストーリーと共に折り鶴が「平和の象徴」になり世界中に広まったことは紛れもない事実です。
残された親族としましては、たった12年しか生きられなかった禎子の事が、言葉・民族・国境の壁を乗り越えて世界へ伝えられたことによって、永遠の命を与えていただき、今も人々の心の中に生き続けていられることに心から感謝を申し上げます。そして又そんな妹を心から誇りに思います。
日本には「鶴の恩返し」という民話があります。
(男性が罠にかかった鶴を助け、その鶴が人間の女性に姿を変えて自分の羽を使い、布を織り男性に恩を返すという話です)
この話のように私は、皆様に禎子を伝え広げて頂いた御恩を形になるようにSADAKO LEGACYの活動の中で大いに禎子を活用いただきながら積極的な提携をさせていただくために、どこででも禎子を使っていただきたいと思っています。その上で禎子が遺した「想いやり」の心で折り鶴を折ることの意義と大切さを示し、その行為がやがて世界中の人々同士で助け合うという「社会貢献」活動につながり、平穏な社会が招来して「鶴の恩返し」だと認めていただけるように努めて参りたいと思います。